オーストラリアにきて合計でもうすぐ3年くらいになろうとしています。
日本にいても3年という時間は大きいもので、誰と出会うか、どんな環境に身を置くか。そんなことで、自分の考えや方向性が自然と大きく変わってくるもの。
自分をチャレンジングな場所に置くこと、違う価値観に出会うことが、より一層日本にいたときよりも濃かったように感じたそんな日々でした。
在住が長い方はまだ3年かよ!と思われるかもしれませんが・・・笑
今日は私のそんな3年間を振り返りながら、自分の変わった考え方をつぶやいていきます。海外在住の方や30代半ばを迎えて感じてきた考え方、共感してくれると嬉しいです笑
【いつもありがとう】家族を大切にする
物理的に距離が離れている分、やはり家族との交流を恋しいと思うものです。
電話は数週間に1回など、こまめにするようになりました。日本でも家族と離れて暮らしていた私ですが、日本にいた時は数ヶ月に1回とかだったので、近況報告が前よりもできています。
知らない土地で一からのスタートだったので、全て自分でやらなければいけませんでした。自分の育ってきた家庭を考えると、普通に教育をさせてもらって、食べさせてもらって、育ててもらったことがどれだけ幸せかを改めて感じます。
お金を稼いでそれを生活や教育に使う。
ここまで育ててもらったから今の私がいると考えると、とても幸せに思います。
また、オーストラリア人の家族との距離感って本当に近いんですよね。だからそういうのをみてもやはり、「あ、両親に電話してみようかな」とか思ったりします。
それでもやはり久々にあった両親が前よりも歳をとっていくのをみると、なんか心の中から寂しいものが湧き上がっていく思いもしますが。
それは海外にいる以上避けられないのかもしれません。
【優先順位大切】 相手に合わせない、「自分」を大切にする
20代の頃日本にいたわたしは、自分より他人を優先することを美徳として生きてきました。
他人に合わせることが「いいこと」だと思っていたし、それでいいと思っていました。
オーストラリアに来て30代になると同時に、それではいけない自分に気がつきます。
自分は何がしたいのか、自分の中で何を優先として生きていくか。
そんなことを人前で発する機会が増えてきたからです。
オーストラリアでももちろん空気を読んだり、人を優先させたりすることはもちろんあります。
ただ日本に比べると、もちろん少ない。
それに相手に合わせる、ということがあまりないように感じました。
自分の意見を曲げてまで相手に合わせることはあまりしません。
「わたしは今何をしたいんだろう」
「何をしている時が幸せなんだろう」
簡単なことでもなんでも自分中心に考えてから、選択にせまることが多くなったように感じます。
これは精神論だけじゃなくて、身体的なものも含めて。
日本にいた頃は、風邪をひいてもどんなに疲れてても生理痛でも仕事に行っていました。相手に迷惑をかけるから、ここで休んだらみんなに何か言われるのではないか、迷惑をかけてしまうのではないか。正直1人休んでもそこまで大きな影響はない会社に勤めていたにもかかわらず、そんなストレスと戦う日々でした。
でもオーストラリアにきて、いろいろなマネージャーに会い、オーストラリアでの働き方をみてから、体調が悪いときは休む、と言うのがオーストラリアの社会では全く普通なことだと学びました。
熱があるかもしれないとマネージャーに伝えると「帰れ帰れ」と言われる。
同僚も風邪だと普通に休む。
それが当たり前。
まぁ、お客さん相手なので風邪を移すなということもあるのかもしれませんが。
でも精神的に辛い状態を押し殺してまでも働いたり、相手に合わせる環境がありません。
と同時に、自分を大切にするようになりました。
しっかり休んだら、しっかり働くし、そのおかげでビジネスにも貢献できるし、マネージャーが辛そうなときは、わたしたちが一生懸命働く。
こうやって循環しているように感じます。
だから、結果的には自分を大切にするのが相手を大切にするのにつながっているのかもしれません。
【みんな違ってみんな良い】自分の考えや意見をしっかり持ち、個性を大切にする
これは一つ前のものに共通することがありますね。
いろんな場所で自分の意見を聞かれます。
「あなただったらどうする?」
「あなたはどう思う?」
「これについてあなただったらどうする?」
「私はこう思うけど、あなたらどう思う?」
と言う聞き方をよくされます。
来たばかりのときは、自分の意見を聞かれる機会があまりなかったので、この質問がくるといつも「うっ・・・」と回答に詰まっていました。
でも、追々聞かれた質問を考えてみると、自分がどう思っているか改めて考えるいいきっかけになりました。
と同時に、相手の意や考えを尊重すること。
もちろん意見が合わずにぶつかることもあるでしょう。
でもそれはお互い自分の「意見と個性」があるから。
相手と自分の個性を尊重する。そんな習慣や考え方が自分の中に根付いてきたように思います。
だから、青や緑、パープルの髪の毛の人がいてもジャッジしない。
鼻ピアスしていても、ナショナルレベルの手話通訳をしていたり、
タトゥーが入っていても仕事を断られることはありません。
個性の大切する方法が、日本とは少し違うオーストラリア。
少しづつ馴染んできたように思います。
【将来に目を向ける】環境問題に対して自分で行動するようになった
2019年に日本に一時帰国したとき。
スーパーにいって一番初めに感じた違和感。それがプラスチックの個包装でした。レモン1つ1つ、きゅうり1つ1つが個包装されている。お菓子も1つずつ個包装。
コンビニにいってもオニギリ1つでもレジ袋をくれようとする店員さん。びっくりして必死に「いいえ、結構です!!」って言ったら逆にびっくりされて少し引かれてしまいました笑
もちろんプラスチックはなにより便利なので、頼らないといけない生活になってしまっていますが、うまいこと共存していくのが一番これから求められていることなのかな、と思ったり。
それをしようと頑張っているオーストラリアは、住民も協力的です。
わたしは今レストランで働いていますが、やっぱりマッサージ業界よりも如実に現れるみんなの意識。
テイクアウェイフードを注文するお客さんは、自分のコンテナを持ってきたり、プラスチック容器の代わりに紙のコンテナを欲しがるお客さんがとても多いのに気付きます。
たまに「こんなプラスチック容器を使うのは環境によくないわ!!」とお叱りを受けることも。苦笑
だからこそ自分の意識も変わり、実際に行動に移すようになりました。
レジ袋は必ず持参する。
ない場合はカバンに入る分だけ買ってそのほかはまた次回。
出来るだけ紙やほの他で代用されている商品を買う。
ラップをなるべく使わない。など。
慣れてくるとどれだけプラスチックが便利か、どれだけ便利なものに依存してきたかが目に見てわかるようになりました。
わたしの彼も環境やプラスチックに関しては敏感なので、そういう周りの影響もあるのかもしれません。
【やっぱりわたしは日本人】 日本を大切に思うようになる
色んな場面でわたしは日本から来ました。ということがあります。
そうするとみんな決まって、
「おー!日本行ったことあるよ。みんな親切で礼儀が良くて、フレンドリーで、綺麗ですごくいい国だよね!」と言われることが多い。そして、そう褒められると悪い気がしない笑
日本を離れて気づく日本の良さがとーーーーっても多く、私が日本人であることに誇りを持つようになりました。
ワーホリできていたときはあまり日本の有り難さを感じなかったのですが、歳もあるかな笑
日本の清潔さ、マナー、礼儀、時間厳守(5分前集合はこちらではありえない)などなど。日本の当たり前がこちらの当たり前ではないので、そういうときにはっと日本の素晴らしさを感じます。
職場でよく起こることですが、
食べたもの食べっぱなし、お菓子の袋が散在していることはザラ。
使った食器を洗わずシンクに置いたまま。
遅刻は普通、バスも決まったルートを通らない、
バスの運転手が道を忘れる。
とキリがありませんが(悪口みたいになってる笑)
なんとも日本でありえないことが起こるので逆に新鮮でもありますね笑
でもやはりちょっとした便利さや、痒いところに手が届くような感じが日本ならでは。
ダイソーの商品だって、あんなに安いのに使い勝手がよく長持ちするものばかり。
やはり日本製品は素敵です。
と、日本にいたら当たり前のことが日本を離れると当たり前じゃなくなる。
そして、そういう誠実さを含め、日本が私の故郷であることにとても感謝をするようになりました。
【まとめ】日本にいたら見えない世界が広がる
視野が広がる、とよく言われますが、本当にその通りで。
見えないものが見えて、それに感謝する。
そんなことが多くなりました。
性格的にも変わってきて、のんびりもしてきたし、「なんとかなるでしょ」と考えることも多くなりました。だから前よりも楽しく、そして新たな発見に刺激を受けながら生きています。
こんなたわいもないことを海外在住の友達とシェアするのが楽しかったり。
そして、こうやって考え方が変わってきた自分も好きだったり。そしてそんなふうに自分のことが好きだって言えている現在にとても満足していたりします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!